いつかまた、青空の下で。

奈良、関西、金沢、東京と生活の拠点を移しながら、様々なよしなしごとを綴ります。

マスコミも結局、国民の鏡です。

ブログの世界で話題になっている、「ガ島通信」を書いておられる元地方新聞記者の方が日経BPのサイトで「事件・事故報道で今一度考えたいメディアの責任と性質(上)」として、今回のJR西日本福知山線事故のことを書いておられました。私が先日の記事で書いた内容とほぼ同じことを考えておられるようで、メディア側にもこのような人がいることが再確認でき、少し安心しました。まだまだ少数派で若手中心かもしれませんが、是非頑張っていただき、少しでも良い方向に変えていって欲しいと思います(ガ島通信の藤代さんは退職されたようですが)。どうも「週刊新潮」にも記事になったようですが、記者会見のテレビ中継に映っていた、社長に向かって罵倒・挑発して自分の価値観を押しつけカタルシスを得るような、情けないほどの低レベルな取材しかできないようでは日本のマスコミは本当に駄目になってしまうと思います。また、挑発的な記事にのせられて、ただ流されてバッシングするのが当たり前、冷静に議論しようとする人を「人間じゃない」として否定し他者の意見を拒絶するような風潮は社会的におかしいし、非常に怖い世の中になってしまいます。日本人は戦前からその傾向がありますが、注意していかなければなりません。

とにかく、今メディアが伝え、論じなければならないことは、なぜこの悲劇が起こったのか、この悲劇を再び起こさないためにはどうすればよいのか、ことだと思います。そのためには欧米諸国のように、関係者を免責にしてでも完全究明すべきです。でなければ、真実は閉ざされ、再び悲劇が起こる可能性が残るかもしれません。遺族や当事者にとっては許し難いことことかもしれませんが、日本、そして世界で鉄道を利用する人のために政治・行政が決断すべきだと思います

ただ、最後に一つだけ触れるとすれば、政治・行政・そしてマスコミも、私たち国民の鏡だと言うことです。それを自覚して私たちも政治・行政・マスコミに対峙していかなければならないと思います。この思いは次回としてこれからも持ち続けていくつもりです。今日も徐々に事故の報道は減り、現在はイラクでの元外人部隊所属の日本人拘束事件に耳目が集まっています。こうやって、次から次へと忘れられていくのでしょう。

少し堅い話になりましたが、大事なことだと思いますので、自分の勉強のためにも今後もマスコミについて思うところを、折を見て書いていきたいと思います。