いつかまた、青空の下で。

奈良、関西、金沢、東京と生活の拠点を移しながら、様々なよしなしごとを綴ります。

父との会話。

久しぶりに、奈良の実家での正月を迎えているんですが、いろいろな出来事がありました。

特に印象的だったのは父との会話です。

僕は父の事が嫌いでした。仕事とはいえ、同僚や接待先と飲んだり麻雀をしたり、で、週に半分、家に帰ってきたら良い方でしたし、タバコも酒もギャンブルもやる、母に迷惑をかけてばかり、というイメージを持っていたからです。

僕がかたくなに営業の仕事が嫌だと思っていたのも、父のその姿を見ていたからです。

でも、今日、何気ない会話から始まった父の思い、僕に対する負い目やいろいろな思いを聞いて、かなり氷解した気がします。僕は小さい頃、ジャンボジェットのパイロットになりたい、と常日頃言っていました。それがいつからか、天文学者や今で言うIT関係の仕事に就きたい、と思うようになった理由は覚えていませんでした。僕自身は特に意識していなかったんですが、父はある事を持ち出しました。

まだ僕が小さい頃、父とキャッチボールをしていて、父が思いきって投げた硬球が僕の右目に当たりました。そのせいか、僕の右目は通常0.1も見えず、どんなに矯正しても0.6程度です。左目が裸眼で1.5なので、いわゆる不同視弱視、という状態になっています。父はそのことを僕に対して、取り返しが付かない事をしてしまった、と思っているようでした。本当は原因はわかりません。もともと、不同視弱視の傾向があったかもしれないですし、僕自身そんなに気にしていませんでしたから。

ただ、父によると、その事件があってから、僕のいうことが変わった、と感じたそうです。僕は全く覚えていないんですが・・・。でも、それから父は僕の事をずっと気に病んでいたそうです。

その他にもいろいろな話をしました。久しぶりにいろんな話をして、かなり僕の、父に対する意識が変わった気がします。父が少し好きになりました。これは確かです。

父は昨年の夏、肝細胞ガンで手術をしています。また、糖尿病に高血圧など満身創痍です。それでも、僕が治るまでは頑張りたい、と言ってくれました。そんな父を見て、僕も少し考えが変わった気がします。早くこの状況を脱したい、本当にそう思うようになりました。

これが父との和解、になるのかもしれません。この歳になって遅いかもしれないけれど、少し気が楽になったと同時に、状況を変えたい気持ちが強くなりました。これが僕自身にどう作用するのかわかりません。でも、治そう、という意識が強くなったのは確かです。これをきっかけに自分も変わっていきたい、と思っています。

とりとめもなく長文になりましたが、これが今の本心です。少しずつでも両親を楽にしていきたい、本当にそう思います。まずは、早く長く続けられる仕事に就いて、両親を安心させたい、とおもった出来事でした。

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